水曜聖書の学び

創世記40章、No.1:

自分の主人の妻に言い寄られて逃げたのが理由で牢獄に入れられたヨセフですが、今度は牢獄の中で神様に用いられ、その祝福を周りの人々に流していくことになります。聖書は、「主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである」と言っています。ある時、彼のいた牢獄に二人のパロの側近の者が入ってきました。その二人が同じ夜に夢を見て、その解き明かしができず、悩んでいるのをヨセフが助けることになります。一人の夢は、3日のうちに牢獄から出てもとの地位にもどるというものでしたが、もう一人の夢は3日のうちに殺されてしまうというものでした。ヨセフは、いい夢を見たほうの者に、自分が無実の罪のために投獄されたことをパロに伝えて、そこから出られるようにしてほしいと頼みました。果たして、彼の解き明かしの通りに、二人の身に起きたのですが、生き残った方の者は、ヨセフの事を忘れてしまい、パロに彼のことを話すことをしませんでした。ヨセフは、この人に夢の解き明かしをした時には、待っていたチャンスがやっと訪れたと期待したことでしょう。しかし、いつ出られるかという保障が全くないまま、すべてが振り出しに戻ってしまいました。調べてみると、彼は17歳の時に奴隷として売られ、ポティファルの家で働きはじめ、何年かその主人に仕えた後、牢獄に入れられ、彼がやっとそこから脱出して、今度はパロに仕えるようになったのが、30歳の時ですから、なんと、人が普通一番人生をエンジョイする10代後半から20代の青年時代の全部を、奴隷として、また囚人として過ごすことになってしまったのです。なぜ神様はこんな人生を彼に歩ませたのでしょうか?普通なら、みな悲観的になり、悲劇のヒーローをやって、自分の身に起きている事を嘆くしかしないでしょうが、ヨセフは他の囚人たちの面倒を見ながら自分に与えられた任務を忠実に行っていきました。