水曜聖書の学び

創世記48章 :

ゴシェンの地に住み始めたヤコブは、その地に17年住むことになりますが、自分の死ぬ日が近づいたことを知ったヤコブは、ある日、ヨセフを呼び寄せて、自分が死んだ時には、その体をエジプトから連れ出し、神様が与えると約束された地にある先祖達の墓に葬ってくれるように頼みます。ヨセフはそれを受けて誓うと、ヤコブはおじぎをします。これで、ヨセフの見た2番目の夢が成就した形になります。ところが、おじぎをするという言葉(ヒシュタハウエー)に、誰に対しておじぎをしたということが明記されてないために、彼が神様を礼拝した意味にもとれるのは、作者が2重の意味を含めて表現しようとした意図のせいです。その後、ヤコブが病気だと聞き、ヨセフは再び彼を訪問します。今度は自分の息子のマナセとエフライムを連れて行きます。目があまり見えないヤコブは、孫達がそこにいることを知らず、ヨセフに、異国で育ったその孫たちも、他の自分の息子たちと同等に、神の契約を受け継いだ自分の家族に加えられることを誓います。そして、ヨセフの息子たちがそこにいることを知ると、彼らを祝福しようと、彼らの上に手を置いて、祝福の祈りをします。ここに一つの大事な真理があります。祝福は神様が与えるものですが、その神様が人という器を使われるということです。そもそも、ヤコブ自身もイサクを通して長子の権利という祝福を得ました。ということは、神様が与える祝福とはいえ、人間関係が非常に大切な要素となって来ます。