出エジプト記 16章 No. 2:

今週も、出エジプト記16章を読みました。話の中では、イスラエル人が食べ物のことでつぶやいたのを神様が受け入れ、彼らにマナとうずらの肉を与えられたことになっていますが、詩篇78編によれば、本当は、神様はこの時、怒られていたようです。この章で一つ気になる表現がありますが、それは、このようにして天からパンが与えられたのは、神様が彼らを「試みる」ためであったという、ヘブル語のナサーという言葉です。これも、簡単なようで訳しにくい言葉の一つです。この箇所だけは分からないので、申命記8章を見ると、そこにも、やはり、イスラエル人がマナを食べた話の中で、この「試みる」という言葉が出て来ます。これは単に「テストする」という意味だけでしょうか。実は、出エジプト記の15章で、民が水のことでつぶやいた時、神様が「試みた」ことが、同じ動詞を使って書かれています。しかし、その時、神様が試みたのは、つぶやいた民ではなく、モーセだったのです。これはどういう意味でしょうか。どうも私たちが普通考えるような「試みる」の意味ではないようです。そして、もっと不思議なのは、17章に行くと、今度は民が神様を「試みた」とあります。興味のある人、水曜日来て下さい。


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