出エジプト記 20章 No.10:

先週は、最後の十番目の戒め「あなたの隣人の家を欲しがってはならない」に入りました。この戒めで議論されることは、「欲しがってはならない」という動詞の意味です。これは、この訳のとおりだとすれば、行動のことよりも、「欲しがる」という心のことを言っていますが、本当にそうですか、という疑問です。なぜかと言えば、法律として掲げることのできることは、目ではっきりと見える何かの行動でなくてはならないからです。そうでなければ、それでもって人が裁かれることはむずかしく、律法としては理解にしにくいからです。ところが、もしそれが、他人のものを取ること、つまり盗むという行為のことであるならば、不思議なのは、もうすでに15節で、「盗んではならない」という8番目のいましめがあるのに、また改めて、同じ内容の戒めを10番目に掲げる必要があるだろうか、ということです。そう考えると、当然のことながら、この最後の戒めは、8番目のいましめがその行為のことを指しているとすれば、心で欲しがるという欲望のことを言っていることになります。それは、非常の驚きです。普通、律法と言えば、何かの行為のことを問題とするものですが、この戒めは、心の中のことを問題にしているからです。そうなると、今まで見て来た9つの戒めも、単なる行為の意味だけで考えて、自分はその行為をしてないからだいじょうぶだと思っていると、そうではないらしいということが分ります。そこで思い出されるのが、山上の垂訓でのイエス様のことばです。「兄弟に向かって腹を立てる者は・・・『能無し』と言うような者は・・・燃えるゲヘナに投げ込まれます。」つまり、それは殺人を犯したのと同じだということです。なるほど、と思いませんか。来週もこの戒めについて学びます。

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