出エジプト記 20章 No.3:

この日は、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」という戒めに終始しました。この戒めも、ずいぶん誤解されている戒めの一つです。イエス様がこの戒めを破っておられるということで、当時のユダヤ人はずいぶん彼を非難しました。ということは、彼らもこの戒めを完全に誤解していたということです。そこで、この戒めの意味を理解するために、安息日という言葉に使われている動詞のいくつかに注目して、それぞれがどんな意味で使われているのかを見てみました。最初は、ザカールという動詞で、これは普通「覚える」という言葉で訳されています。しかし、この動詞も現代人には非常に分かりにくいニュアンスを持ったことばの一つです。それは、現代人と当時の人たちの時間の観念の違いが大きな原因です。歴史は繰り返されるということばがありますが、当時の人たちは時間が円上をくるくる回っていると考えると、今の時がまた将来戻ってくる、あるいは、昔起きたことが今また起きるということになります。まさしく、一週間の概念はそこから来ます。神様が天地創造を6日でなさったように、私たちも6日の間働いて、7日目は神様が休まれたように、私たちも休むというのです。これは、一つは、私たち人間が神の真似をするものであるということを意味しますが、もう一つは、神様の創造は今も続いており、私たちの6日間における仕事を通して、それがなされていることを意味します。ですから、安息日のいましめ、ただ単にその日だけのことを言っているのではなく、その前と後の6日間を含めた人間の生き方、またその目的にも関わる非常に大切ないましめを教えていることになります。神様はその安息日を祝福した、ということが、創世記にも、またこの戒めの中にも書かれています。それは、6日間の仕事の祝福の祈り、それを神様から頂く日だということもできます。つまり、神様が天地創造の時の7日目に、その日を祝福されたのが、今の私たちにも有効なこととして、私たちを祝福してくださる。これが、「覚える」という意味です。さて、もう二つの動詞(カダーシュ、シャマール)が使われていますが、この続きはCDを聞いてください。

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