水曜聖書の学び

出エジプト記3章 No.1 :

エジプトのパロを恐れ、荒野のミデヤン人の地に住み着いたモーセですが、そこでレウエル(イテロとも呼ばれる)という祭司のもとに身を寄せ、彼の娘と結婚もし、レウエルの羊の世話をして生活することになりました。それからかなりの年月(使徒7章のステパノの説教によれば40年)が経ち、ついに、神様が彼に、エジプトにもどり、イスラエル人を連れ出すように命令される時が来ました。これが有名な燃える芝の話です。彼には火の炎に見えたものが、実は神様そのものであったのです。芝が燃えることは普通の出来事ですが、それが焼き尽きなかったというのは、それがただの火ではなく、神様の臨在そのものがあったからです。聖書には、神の存在が火や炎として表れている箇所がいくつかあります。(創15:17、出19:18、士6:21、第1列18:38、へブル12:29)。モーセが柴の燃える様子を見ようとその前を靴履きで横切って行くと、神様の声がして、「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である」と言われます。これは神という存在が「聖なる」ものであり、その臨在が触れる場所や物、またその近くであっても、聖であるとし、それに人が軽々しく近づいたり、触れたりすることができないということです。(逆に言えば、人間が汚れているということ)。これは今までのアブラハム、イサク、ヤコブの時代までにはなかった考え方で、神様がこの頃から人に教え始められたようです。実は、単なる考え方ではなく、すべての人が学ばなくてはならない真理です。