水曜聖書の学び

出エジプト記3章 No.3 :

自分と同胞のヘブル人の所へ行っても、彼らが自分を受け入れてくれるかどうかを心配するモーセは、自分に現れてくださった神がどんな名前であるかを尋ねます。そこで、神様は、ご自分が「私はあるという者である」とお答えになりました。これは、まず、聖書が名前というものをどのように考えているかを知らなければなりません。私たちの考え方とはちょっと異なります。そして、この名前がどんな意味であるかを、説明するために、三つの主な考え方をあげました。まず、存在論的な解釈、次に、神様の計画を啓示するためのものとしての名前、最後に、神様の強い意志を表すものとしての解釈です。存在論的な解釈とは、この神が存在する唯一の神であるということを示すものです。ヘブル語では、そもそも、存在を示す動詞を現在形として使うことは普通ありません。唯一存在するのは神であり、ヤーベー(YHWH)の名前そのものが、同じ語源からのものであることともつながりがあります。第2の意味での解釈は、聖書では神の名前がいくつもあって、その時々、ご自分のなさることを示す意味の名前でその神を呼んでいることからくる解釈です。これも非常に大切です。いくつかの例をあげて見てみました。そして、一番大切なのが、第3の意味です。これは、「わたしはあるという者である。 」というのがidem per idemと呼ばれる表現であることによるものです。興味のある人、CDを聞いてください。