出エジプト記7章 :

「私は主である」と、ご自分がすべての救いを成就させる神であると語られたみことばも、どうやら、民にはぜんぜん理解されず、受け入れられなかったようです。それは、彼らが自分たちの身にふりかかった苦役という環境を見ていたため、神のことばを聞く耳を持っていなかったからです。さて、今回も6:2-8の神様のことばの意味、特に「私は主である」ということばの意味を、新約聖書の「イエスは主です」ということばに比較して考えました。これは、聖書全体に渡る隠された真理と言えるでしょう。これをマスターすると、聖書がより理解できるようになるはずです。まあ、あまりよく分からなかった人も、最低、こんなことを聞いたことがあるとぐらいは覚えておくといいです。いつか分かる日が来ることを願います。
さて聖書は、この後、モーセとアロンの系図を載せています。これは、これから彼らが主人公として話が進んでいくにあたって、その序として彼らの生い立ちを説明するためのものです。これは、創世記でも同じような目的で系図が載せられていたのを覚えているでしょう。おもしろいことは、神様の言われたとおりにパロのところに言って民を行かせてくれるように頼み、見事にあっさりと断られてかなり落胆していたモーセとアロンですが、その話の後に、この序の部分があることです。つまり、これからが始まりであり、最初に体験したことは単なる序の口であったということです。しかも、彼らが80歳と83歳の年であったこと、また神様はイスラエルの民のためだけではなく、エジプトの民も同じように、この神が主であることを知るようになることを計画しておられたことが記されています。この意味が分かるでしょうか。


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